2013/07/28

さしあたってすることもないので
ただひたすらカトマンズの街をぐるぐるぐるぐる。

なんか仏教的モチーフのペンダントのようなのを持ったおっさんが近づいてきて
「ユーノー 『オンマニペメフン』?」
気にせず通り過ぎると、あわてて
「ハッパ?ハッパ?」

って節操なくないですか?




2013/07/27

カトマンズのチベット難民センターに行ってみた。

今はずいぶん数も減ってるらしいし、だいたい行ったところで中に入れるわけでもないだろうし、入れたところで、話聞くほどチベット語ができるわけでもない。
でもみんなここに最初に来てるんだと思うと見てみたかった。

案の定中には入れてもらえず、外でぼんやり。
みんなここについた時はどんな気持ちだったんだろうな。
ここで何考えてたんだろうな。

ほんとはヒマラヤ越えて、行ってみたいよチベットに。




2013/07/26

みやげ物屋で
チベットの人が売っている
おおきなナイフを
中国の人が買っていく








2013/07/25


酒をのみ
ふしだらなことを考えているオレを
あいつが見ていた高いとこからごめん








2013/07/23

昨日、ミコノスとカトマンズの快楽っぷりについた考えはじめたら
なかなか寝付けなかった。

このカトマンズのほこりっぽさとグレーな感じで、その上快楽って!

「ミコノス 快楽」ってgoogle検索しても出てくるものはきっと想像を超えることはないだろうけど、「カトマンズ 快楽」ってなんかものすごいのが出てきそうではないですか。おおーおそろしや。

さらに思いついたのが「盆地 快楽」。
あっ、考えただけでめまいが。

などという妄想を膨らませ、今日も夜の街に突撃しまーす。



2013/07/22


カトマンズ、タメルにいる。
ダラムサラから来るとここには何でもある。
のんべの僕にはパラダイスである。
飲んで、歌って、踊って、もっと気持ちいいことももちろん。
でも一人じゃなー。

しっぽり飲んでるスペインのおじさんおばさんとか
大騒ぎしてるドイツの若者達とか
もっとうるさい中国人のグループとか
そんな中、一人で難しい顔して飲んでいるのもなかなか居心地が悪い。

もともと一人飲み大好きなんだけど
むかーしミコノス島で感じた以来のこの感じ。

ミコノス並みにここカトマンズは快楽的な街であるのか。
あくまで、僕の「さびしんぼメーター」によるとということだけど



2013/07/21

デリーの地下鉄に初めて乗る。
自分だけこきたない格好をしていることに気づいてしまう。

むかーしむかーし都内のバーで、下駄履き故に断られた恥ずかしい思い出が突如よみがえる。そこはビリヤードなんかできるとこだったから、フロアが傷つくとかそういう理由だったのか。まあプールバーっつうのもなんだか恥ずかしい話だな。

デリーの話。
どこの都市にもある普通の地下鉄でとくにおもしろいこともないのだが
切符売り場の時計が鳩時計なのがポイントか。





2013/07/20

かなりツーリスティックなところにいるけど、渋い飲み屋を発見。
ほとんどローカルの一人飲みおっさん、もしくはじいさん。けして高い店じゃない。
ダラムサラじゃ酔っぱらって騒いでるインド人はほとんど観光客だから、飲んでる姿に趣がない。それにくらべ、ここの呑んベの味わい深さといったら。
みな静かにウイスキーのグラスをちびちび傾ける。パニール(インドのカッテージチーズみたいなの)なんかつまみに。
隣のじいさんなんか、ストローで飲んじゃってる。なんて美しいこと!

せっかくデリーに来てるけど買い物するでもなく、話題の店を食べ歩くでもなく、暗くなってモゾモゾ動き出して、裏道の赤ちょうちんを探して歩いてる。
まあどこに行ってもいっしょだな。


2013/7/19

デリーに来ている。
もうすぐビザが切れるので、月曜にネパールへひとっ飛び。

ほぼ18年ぶりのデリーはなんか変な感じ。
チベット語が聞こえない違和感。
そして思った通りに蒸し暑い。

ぐだっとするのも無理もない。


2013/07/17

むかしむかし、トマトとじゃがいもと玉ねぎはとても仲のいい友達でした。
あるとき3人が一緒に歩いていると、トマトがつまづいて転んでしまい、そこに車がやってきて、トマトは轢かれて死んでしまいました。
ジャガイモと玉ねぎはとっても悲しくて、2人で山に登って、山の上でたくさん泣きました。
さんざん泣いて、2人で村に帰る途中、じゃがいもが足を滑らせ、崖から転げ落ちて死んでしまいました。
1人で村に帰った玉ねぎはたくさんたくさん泣きました。
「大事な友達が2人ともいなくなってしまった。僕が死んだらいったいだれが僕のために泣いてくれるんだろう。」
村の人たちは玉ねぎをなぐさめながらいいました。
「何を言ってるんだい。もし君が死んだら、村のみんなが、いや世界中のみんなが、君のために泣くだろうよ」


「だから私たちは今泣いてるんだよ」
朝の仕込み中、みんなで玉ねぎ切って泣きながらそんな話。

朝からオレをほっこりさせるんじゃない。




2013/07/16


いつのまにか、野良犬を見ても、野良犬と思わなくなっている。



2013/07/15

周りのチベット人達を見ているとどうも数学が苦手な人が多いような気がする。それも極端に。(サンプル数が少ないので何とも言えないのだが、あくまで僕の実感として)
これぐらいの八百屋のレシートでそんな大汗かいて計算機を使う必要があるかと見ていていつも思う。小学生の遠足のおやつの計算ぐらいなものじゃんって。
しかもここインドは数学先進国と聞いている。いまやIT大国だし、二桁のかけ算は暗唱できるんじゃなかったか。チベット人はチベット人の学校に行ってるから関係ないんだけど、それにしてもと思った。

その辺の疑問をレストランのマネージャーソナム氏にぶつけてみると
「チベット人数学できないよ。魚食べないから」
と思いがけない答えが返ってきた。
「インド人も南インドは理系が得意だけど、北とか東のインドはそうじゃないよ。魚食べないから。」

魚食べないからなのか!DHAってヤツですか。
何とも単純明快な答えに返す言葉がなかった。

“さかなさかなさかなー♪さかなーをたべーるとー♪
あたまあたまあたまー♪あたーまーがよくーなるー♪”

いつも行っていた魚屋でエンドレスにかかっていた曲が急にグルグル回り出す。




2013/07/14

間もなくデリーに行かねばならないので、バスのチケット買わなきゃなと店で話してると、一人の子が一緒に買いに行ってあげると言う。
その人はヒンディー語も達者なので、自分も一緒ならちゃんとした値段で買えるよと言う。さもなきゃインド人は外人だからってふっかけてくるよと。
いやいや、僕も子供じゃないんだから、バスのチケットぐらい一人で買えますよ、僕は一人で近くの旅行代理店に行った。
帰ってくるなり、「いくらだった?」「900ルピー。」「バス会社はどこ?出発は何日?」僕が答えると、あっという間に出ていった。
で、息を切らして帰ってきた彼女は、「800ルピーだって言ってたよ!100ルピーインド人に持ってかれたね!」とうれしそうに笑っている。
そして一言「ドッキョンレ!」

今日のチベット語「ドッキョンレ」
「自業自得」というようなニュアンスで「ほらみたことか!」とか「ざまぁかんかん!」みたいな感じで使ってるようです。違うかな。
指であごをちょんちょんって掻くような仕草がつきます。
ばっちりフィットした場面で使うと、間違いなく喜んでもらえます。




2013/07/12

むち打ち症のシーク教徒は
他の人よりも
気の毒にみえる。



2013/07/11

たまに自分の選曲でキッチンのBGMを流す。
が、どれも総じて受けが悪い。
けっこう幅広くいろいろあるなかで、これでもかこれでもかとセレクトするがどれもノってくれない。
インドの映画音楽とか好きならこれなんかいいんじゃないかと思って、ちょっと昔のジプシーの歌姫の曲とかかけてみるけど反応は薄い。そんなに遠くないんじゃないって思うんだけど、西洋人が日本人だからってわざわざマッコリを用意してもてなしてくれるようなものなのかもしれない。

この前、どうしても気分はボブディランだったのであまり周りを気にせず聞いていた。
やっぱり、「変な音楽」と皆は言う。
おいおいボブディランだぜ、と僕は思う。世界中の人が彼に魅せられていたんだよって。

ん、待てよと。僕はいったいいつからボブディランを常識と思うようになったんだろう。僕がボブディランのことを知っているからなのか。知っているから当然のようにカッコいいと思っているだけなのか。
いやいや初めて聞く曲でも、カッコいいと思うのものはカッコいい、少なくとも自分ではそう感じていると思っている。でもそれだってこういうのがカッコいいというカタチを自分で知っているからなのか。

なんだかよくわからなくなってきた。

とりあえず明日は三波春夫の浪曲で攻めてみたいと思う。



2013/07/10


小さな頃から虫も殺さない子供ではあったが、ここにきてチベット人とつき合ううちにその辺はますます厳しくなってきた。なんといっても彼らは、蚊に刺されていても最後まで見届ける人たちである。
とはいえ、そういう気持ちでいても、部屋にどこからともなく無数に侵入してくる見たこともないような虫達を、仏のように看過することもできない。捕まえて外に放り出す。
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
そうやって夜はあっという間に過ぎて行く。
寝てる暇なんかありません。



2013/07/09

湿りっぱなしのダラムサラ。
気づけば財布の中も湿ってる。なんか最近ボロボロヨレヨレの紙幣がたまってきている。ぼやぼや買い物してるからいけないんだけど、まっぷたつに破けたのをテープで張っているのもある。当然こんなの受け取ってもらえない。
広げて乾かしてプレスしてとかやってみたりもするが、こういうのは負けずに誰かにつかませるのが手っ取り早い。お金を渡すときにわざとらしく道を聞いてみたり、テレビのクリケットの話題を降ってみたり。

10億人でババ抜きやってると思うと結構楽しめる。それにしちゃババばかりだが。



2013/07/05


インドだって、ダラムサラだってこれぐらいのことは朝飯前である。
ちょっと形が微妙なのはご愛嬌ということで。



2013/07/04

そりゃfacebookだって負けてるわけにはいかないよな。


2013/07/03


今日まで3日間のティーチング。
やはりこういう時はきちんと正装している人が多い。
ぼんやりみんなのチュパ(チベットの民族衣装)を眺めていた。
いままで特に何とも思ってなかったけど
ホントに何とも思ってなかったけど
色鮮やかな女性のチュパ姿にぐっときちゃったな。

いままではどちらかと言うとチベットの子供たちの制服姿にぐっときてたのだが。


ってなにしにティーチングに行ってんだ、オレ。



2013/07/02

今日のチベット語。
「ギャガ」→「インド人」
「ギャミ」→「中国人」
「インジー」→「西洋人みんな」「英語」も「インジー」

これだけでその国のことをどう思ってるかわかる気がする。
「ギャガ」「ギャミ」という響きに、どう考えても親しみを感じられないのは僕だけ?
特別に長い関係がある2つの国ということはたしかだが。

ちなみに「日本」のことは「ニホン」というようです。



2013/07/01

半分この前の続き。
チベット語は書き言葉と話言葉にけっこうな違いがあって、書き言葉はだいぶ堅苦しいものらしく、書くのは苦手という人は多いようだ。
日本語の場合、仮名文字ができたり、明治では言文一致の動きだったりで、昔から多くの人が読み書きができたし、それによってまた新しい表現の形態も生まれたのだろう。言葉というものは生き物のようにそうやってダイナミックに変化し続けた結果今この形になってるし、今だってなお変化し続けている。そういうもんだと僕は理解している。

チベット語は未だにそんなんだから廃れていくんだよ、一瞬そう思った。

だけど、だけど自分の国で思うように自分の言葉を話すことができない、言葉の違う外国で暮らさざるを得ない、彼らは今、そういうところにいる。
そんな彼らの言葉がどうやって生きて変化し続けられるだろうか。

1000年単位で生き続けた言葉が消えていくとしたら。
実際なくなってしまった言語はたくさんあるだろう。
そのとてつもない取り返しのつかなさに僕は呆然とするのだ。