2013/05/24

明日は満月。サカダワのクライマックスである。
こころなしか皆はしゃいでいる。明日は店も休みになるからかもしれないが。

きっとサカダワにおける正しい過ごし方というのがあるんだろうけど、話題は物乞いの話。明日に向けてお寺にはたくさんの物乞いが集まってくるのだが(この日につんだ功徳は何倍にもなるため、皆たくさんお金をあげる。)、普段はそうじゃない人たちまで集まってくるらしい。
今頃乞食は大忙しだろう、足が動かなくて這ってるようにみせたり、目が見えない人みたいにしたりと準備に余念がないだろうと言う話。あたしも乞食やりに行こうかな、なんてみんなで乞食の真似してる。きゃっきゃきゃっきゃと。
ちなみにこの日は、大きなお金しか持ってなくても物乞いの人はおつりを渡してくれるらしい。そんな話聞いたことない。

まあ、なんだかんだ言いながらもみんなまじめに朝早くお寺に行くんだろうし、オレも早起きしようっと。


2013/05/23



今日のチベット語。
「モモ」ーよく知られてるようにチベット風の蒸し餃子のようなもの。皮に具を包んで閉じるのだが、転じて「黙れ」というように使うらしい。モモのように口を閉じろと、「Shut your mouth.」という感じかな。
いいのか悪いのか、ホントこういうのばっかり憶えてしまう。
ちょっとだけ自然に悪態つけるようになってきました、チベット語で。



2013/05/22


夜は君と話をするためにあるんだよ。



2013/05/21

今日のチベット語。
「ギャッパ」太ってる、まあデブということ。
悲しいことに「ありがとう」、「こんにちは」の次ぐらいにおぼえてしまった言葉。なんかよく言われるから。
そんなに言われるほどじゃないんじゃないかオレは、と常々思っていたが、よく見てると彼らは驚くほど簡単に人を「ギャッパ」という。基準はだいぶ緩いと思う、いやそう思いたい。
友人がよく行く店の店員さんを、名前を知らないからといって「ギャッパ」と呼ぶのにちょっとビビった。



2013/05/18


ゴミの分別の問題について。

ちょっと鶏の骨が混じった残り物を残飯捨てに入れたら「そんなの入れたら病気になる!」と言われ、それがただの残飯ではなく牛のご飯だということを改めて思い出す。ふだんあんなに大雑把な人たちなのに結構一生懸命に鶏の骨を分けてくれた。それぐらいで病気になるのかよくわからないけど、みんな意外ときちん考えてる。

僕にはいまだに牛が何を食べて、何を食べないのかいまいち分からない。
メロンの皮は食べるけど、レモンの皮は食べないとか。
じゃあスイカの種はどうなんだ?卵の殻はどうなんだ?かつおぶしはどうなる?天かすみたいな脂っこいものを食べさせていいものか?これはちょっと辛すぎるんじゃないか?しょっぱすぎやしないか?卵焼きは?えっ、ちょっと甘めが好き?

だんだん誰に何を作ってるのかよく分からなくなる。



2013/05/16


以前トルコに行ったときに、知り合ったトルコ人の女の子につき合って歯医者に行ったことがある。人が歯を抜かれるところをまじまじと真横から眺めるなんて、この先ないだろうなって思ってたけど、ここダラムサラで2度目。けっこう愉快なもんだ。

ちなみに今回は断続的な停電で、ケバい助手のオネエちゃんが携帯のライトで口の中を照らしてた。




2013/05/15

我らがレストランではみんな傷だらけで働いてるけど、一方で店の前では、こういう働き方が存在するというのも一つの事実である。



2013/05/14

キッチンでボヤボヤしてるあいつもこいつも、馬に跨がり草原を駈けていたかと思うと、ちょっと見る目が変わる。


2013/05/13

慣れないホールに出て、トレーを持って右往左往してたら
「なーにやってんだい、うちのテディベアは」
って言われた。

大丈夫か37歳俺。



2013/05/12


日曜日。
ここ数日続いていた、どこかで行われてる結婚式のにぎやかな音も聞こえなくなった。今はただ控えめな雨音だけ。
特に約束もなし、こんな天気だし、薄暗い部屋での篭城を決め込む
枕元に本を積んで、ラム酒の瓶を抱え、寝袋にくるまる。
多少の空腹も気にしないことにする。

そう、こういうのが正しい旅の日常だよな。



2013/05/10

チベット世界では「サカダワ」と言われる月に入った。

お釈迦様が生まれた月ということで特別な月。
この月に積んだ功徳は何万倍になるといわれ、1回オン・マニ・ペメ・フム(真言というのかな)と唱えると、何万回分唱えたことになるという。
なんというか特売セールというか、確変中というか、マリオの無敵みたいな特別な時期なのである。
その分、虫一匹ふんづけたら何万匹踏んづけたことになるというデンジャラスな期間でもある。この時期肉食を控える人も多いようだ

この倍々ゲーム的考え方は普段からあちこちにあって、マニ車といわれるくるくる回るヤツには真言が書かれていて、一回回すと一回唱えたことになり、真言の書かれたタルチョ(旗かな)は風でなびくとその分唱えたことになる。
初めて聞いた時は、そんなのありなの?って思ったけど、これもそれだけ信仰が身近であり、もっと功徳を積みたいという真摯な心からなんだろうなと思う。

ということで僕も空いてる時間があれば、お寺に行き、くるくる周りながら、せっせといろいろ回してます。
くるくるまわるのってけっこう気持ちいいんだよね。




2013/05/09


仕込み中のキッチンにて、突如なぞなぞ的遊びが始まる。
細かい事情は知らないが最近ややムードの悪い職場が、にわかに活気づく


で、そのなぞなぞはというと、例えば
Q.「鳥が空を飛んでいる。だけど糞はどこにも見当たらない。なーんでだ?」
A.「パンツをはいてるから」
と、突っ込む気力がなくなるぐらい脱力系だったりする。
でもみんなでワイワイ。単純すぎないか君たち。

ま、このぐらいがいいのかもしれないな。
ムードの悪い職場内、家庭内、夫婦間などぜひおためしくださいませ、なぞなぞ。

もっとも俺が言えた義理じゃないけどね、ははっ。



2013/05/08


この辺の店はあいた瓶を下げない。
何本飲んだか分かりやすいようにするためだろうが、のんべの気持ちをくんでんのかもしれないな、と思ったり。

酔えば酔うほど、空き瓶が並べば並ぶほど、もっと並べたくなるこの気持ち。あーまたやっちゃってるよ、っていう喜び。だめな自分への自己愛が増幅する。
ねっ、わかってくれるよね。



2013/05/07

今日も言葉の話。
誰が教えたか知らないが、一緒に働いてる子に
「ゲスヤロウ」
って言われた。

ゾクゾク!
やっぱそういうの好きなんだな、俺ってば。


2013/05/06



独り言が増えた。
これはけして僕がさみしんぼだからというだけではない(あえて強く言う)。

酔っぱらった帰り道、道端で動かぬ牛に「牛め、コノヤロ」とか、立ちションしてる2人連れに「連れションしてんじゃねーよ、コノヤロ」とか、飲み過ぎてもどしちゃってるインド人に「そうやって強くなっていくんだよ、コノヤロ」とか、他意もなく大きな声で言うのが思いのほか心地よいから。どうせ日本語誰もわかんないし。

で、とても忙しいキッチンにて。
いままでも仕事中に思っていただろう心の中のボヤキを、心のうちにとどめずはっきりと大きな声でボヤキながら仕事をするのは、精神衛生上大切なことかもしれないなと思い始めてます、。日本語わかる人いないからそれができる環境だし。もちろん伝えるべきことは伝えるようにしてるけど、とっさに言葉が出ない時は思った以上に荒い日本語で答えたりしてます。
「なーにやってんだよボケ」とか「チンタラやってんじゃねーよオラ」とか。

かつての僕とはひと味ちがう働きっぷりかもしれんな。



2013/05/04

ハエがいる。
僕はベッドに横になっている。優雅な午睡。
ハエは律儀におんなじ径で回り続ける。
回り続けながら中心は少しずつ動いている。
僕は飽きずに目を凝らす。
そのうちうまい具合に開いてる窓から飛び出す。そこに意思があるとは思えない。おんなじように回りながら、あくまで偶然に。

はてさて、彼は僕の部屋から外に出たと思うのだろうか。
広い世界に飛び出せたと思うのだろうか。
だとしたら、彼にとっての、僕の部屋と外との違いは何だろう。
風か。光か。
あいかわらず窓の外でおんなじように回っている彼を追いながら
そんなことを考えてる優雅な午睡。



2013/05/03

結局僕たちは、あらかじめ用意していた通りにしか新しい世界を見ることができないのか。あらかじめ用意した答えが欲しくて新しい世界を見るのか。
はたから見てだいぶステレオタイプなツーリスト達を見てふとそんなことを思う。

いやいやそんなことないはずだと、自分を信じたい。
だからこそ僕は、よなよなトンカチをふりまわす。
あらゆる壁ををとっぱらいたいから。



2013/05/02

ぶらぶらしてたら、インド人の物売りの若い男に声をかけられる。
「ニホンノドコ?」
「トウキョウドコ?」
「セタガヤ?アサガヤ?ブッダガヤ?」

彼一番の会心のネタを、表情かえずにあっさりスルーしてしまったが、今頃じわじわ面白くなってきた。


2013/05/01

ここダラムサラはインド人観光客がとても多い。
外国人はやっぱりダライラマ法王がとか、チベット仏教がとか、ヨガとか、瞑想がとか、まあ分かりやすい理由が推測できるが、インド人はそういった感じじゃ全然ない。昔から有名な避暑地ではあったようだが、それでもわざわざなぜここにという気がどうしてもする。

そこで最近聞いた一つの仮説。
「彼らは露出度の高いロシア女を眺めにきてるのだ」
道ばたに立ち止まり、ガン見するする男どもを見て、僕は深くうなずく。