2014/01/29

チベット語愛餓を

一年ほどダラムサラでチベット人に囲まれて仕事をしていたわけだけど、残念なことにたいしてチベット語が上達していない。ましてやチベット文字なんかまったくわからない。時間もあったろうに、テキストだっていろいろ用意してたのに、酒ばかり飲んでるからだ。「ドッキョンレ(自業自得)」と自分に言っておこう。

ということで、いまネパールで集中的にチベット語講座が開かれている。ついでに日本語講座も。お互いに先生になってということである。
「ABC」はずいぶん前に覚えているわけだから、フランス語やスペイン語を勉強し始めるのとは訳が違う。新しい文字を覚えるというのはとても不思議な体験だ。街で看板なんかを見てもまったく目に入らなかったもの、情報として認識さえされなかったにょろにょろしたものを「これは文字なんだ」と自分に言い聞かせインプットしていく。すこしづつにょろにょろしたものと音との対応が見えてくる。壁のシミに謎を解く鍵を見いだす名探偵のようなアタマの中の一瞬の広がりがあるような気がするけど、あまりぱっとした喩えではないな。
ཀ་ཁ་ག་ང་ ཅ་ཆ་ཇ་ཉ་
まず微妙なカーブの意味が分からない。微妙な角度の意味が分からない。ここでペンをこっち側に動かす必然性のようなものが見当たらない。意味などない、必然性などない、ただたくさん書いて覚えるしかないではないかというもっともな意見もわかるのだが、もうおっさんになってしまった僕の脳みそはそんなにピュアにはできてないようだ。何かしらの関連性みたいなものがないと頭に入ってこない。とかなんとか言いながら、たった今、生まれて初めてキーボードでチベット語を入力してみて部屋で大興奮している。パソコンはどうも苦手な彼女も一緒に大騒ぎ。ただ「あいうえお」のようなものを書いただけなのだが、ピュアすぎるほどピュアではないか、オレ。
閑話休題。
彼女がチベット語書くならこっちの方がいいよと万年筆を買ってきた。今までは普通のボールペンを使っていた。これが全然違う。なんていうか気分が違う。いやというより、そこでそっちに弧を描くのが実に合理的な動きであることがわかる。文字の書き方のある程度の法則みたいなものが見えてくる。何を使って書くかということはこれほど大事なことだったとは思ってもみなかった。考えてみれば文字が出来たときに極細滑らかボールペンなどあるわけがない。竹を削って、先をある程度細くして、ある程度の太さを残して書いていたわけだ。うーんなるほど。そう思うと、ひらがなの書き方を教えるのにしても、毛筆で書かれた文字であるということ、毛筆ならではの動きの結果の文字であるということを考えると、説明の仕方も変わってくる。うーんなるほどなるほど。まだまだ気づくことはたくさんあるものだ。

とはいえまだ最初の一歩も踏み出したともいえない地点である。一つの音を出すのに文字の組み合わせと補助的な何かが必要らしい。先は果てしなく長い。較べて日本語の50音というのは書き文字と音がシンプルに組み合わさっている。チベット語には僕にはまだうまく出せない音もある。我らがご先祖様はよい言葉をつくったものだとも思うが、50音に音をまとめてしまったばっかりに、日本人は(人のことは知らないから僕はというべきか)致命的な外国語、特に英語の発音の問題に直面してるともいえるかもしれない。

ちなみに僕たちはお互いにとてもへんな言葉でお互いに話している。はじめはきちんと英語で話していたが(少なくても僕はそう思っているけど)、少しづつ僕のチベット語の語彙が増え、彼女も少し日本語を覚えはじめ、お互いに不完全な言葉を不完全なままぐちゃぐちゃ混ぜにして話しているもんだから、他の人にはわからない言語に仕上がりつつある。おかげでよその国の人に突然話しかけられると急には対応できない。明らかに僕の英語力は退化してしまっている。「もとからなに言ってるかよくわからなかったよ」とあいつは言うかもしれないが。

だからこうやって日本語で文章を書く時間は、僕にとって精神的なオアシスと呼べるのだが、怖い顔をした先生がこっちを見てるので、自主学習の時間へと戻ろうかなそろそろ。

བཀྲ་ཤིས་བདེ་ལེགས་



2014/01/27

旅は道連れ

気分転換もかねてポカラに行くことにした。1週間くらいのつもり。
カトマンズの宿は一ヶ月ということで借りてるので、とりあえず必要そうなものをリュックに詰め込む。準備はできた?と連れの方を振り返ってみると手ぶら。下着の替えをポケットにつっこんだぐらいなもんだ。毎度のことながら気軽に身軽に移動するこの人たちに驚かされる。

1人で旅をすることに慣れてしまったので、連れがいることは新鮮だ。ましてや現地の言葉の堪能な人と一緒というのは初めての経験。やはり言葉は大事。なにがいいって買い物が安く済む。とにかく値切る。その熱意に僕はやや引き気味になる。若い頃は僕だって口から泡を吹きながら、リキシャのオッちゃんとケンカ腰に値段交渉したもんだが、残念ながら今その熱意は僕にはない。貧乏旅行なことは今も昔もたいした変わらないのだけれどな。
観光客相手の店でTシャツなんか買うとき、僕の出る幕はまるでない。邪魔しないで、余計な口を挟まないでと言うことになる。「私もおんなじネパール人だよ、それはちょっと高すぎるんじゃない。」ほんとにお前ネパール人かよというおじさんの疑いの目など気にしない。細かい糸のほつれだって見つけるし、怒ってみたり、懇願してみたり。1ルピーだってゆずらないこの攻防は、彼女にとってスポーツのようなものかもしれない。そういえばダラムサラにいた頃、僕が部屋でトゥクパなど作って食べる用のお椀が欲しいということで一緒に買いに出かけた。しかしどの店の値段にも納得してくれずに、「メーラー(秋のお祭り)には安い店がたくさんでるからそのときに買いな」と2、3ヶ月待たされた。今日にでも使いたいって言うのに。ほんの10ルピー20ルピーの違いだっていうのに。金はオレが出すって言うのに。
まあ、倹約家がいっしょだと心強いのは確かだ。ただ問題は、酒に関してだけは2人とも金に糸目をつけないということか。

間違いなくポカラのバス停に着いたら一気にホテルの客引きが集まってくるから、いきなり言われるままに決めないで、ちょっと一服しながらゆっくり考えようぜという僕の意見に、わかったとうなずく彼女。僕にも僕の旅の流儀がある。第一波の客引きをやりすごし、残った人らとのんびり交渉したほうが相手のペースに飲まれない。ふふっオレにもいろいろ経験があるんだよなんてことを思い一人悦に入る。

ポカラに到着する。思ったとおりたくさんの客引き。たまに日本語だって聞こえる。その人らをかき分け後部のトランクにリュックを取りに行き、戻ってみたら、彼女はもうタクシーに乗り込んでいた。
「早く乗りな!」ってあんたオレの話全然聞いてないな。「いいからあんたは口出さないで」って少しひどい言い方ではないですか。
結局彼女の即決したホテルにまっしぐら。たしかに悪くないホテルだったというところがまた腹立たしい。ほらねと言わんばかりの彼女の勝ち誇った顔も腹立たしいったらありゃしない。

ポカラは快晴。
マチャプチャレをはじめとした迫力満点のヒマラヤの峰々。「ほら見てみな山だ!山だ!」いちいち立ち止まって興奮する僕に彼女は冷めた目で答える。
「チベットにはもっともっと大きな山がいっーぱいあるんだから、あれぐらいじゃ全然驚かないよ」
くそーこのチベット娘め。素直にオレを感動させておいておくれ。


2014/01/24

読書の効用

旅に出る時に、もっとも慎重になるのは本を選ぶこと。
どこにいってどんな気分になるか、いろんな可能性を考え、できるだけコンパクトに有益な本を持っていきたい、そう考える。なんて言っても、実際は思ったとおりの気分になんかならないんだけど。それでもいろんなシチュエーションをあらかじめ想像するのは出発前の大きな楽しみの一つだ。インドならインドの、八ヶ岳テント泊にはそれの、1泊の伊豆お忍び旅行にはそれ相応のセレクトがある。もっとも恥ずかしくて具体的なタイトルなんかいえないし、残念ながら伊豆のお忍び旅行の経験なぞない。
今回は移動もせずにダラムサラに一年ということで、まとめて段ボール一つ日本から送っていた。読みかけやら読もうと思って積んでいたのを無造作に突っ込んで。結局日々酔っぱらっていたせいで、読まずにそのまま送り返すのもたくさんあるんだけど、読んでみて、ダラムサラにいるからこその染み込み方があった本もいくつかある。その時の自分の状況に応じた見え方があるのも読書の一つの効用である。

「カラマーゾフの兄弟」がそんな本の一つだ。そこで繰り返されるいくつかのテーマ。そこに出てくる登場人物たち。19世紀半ばのロシアの物語を読みながら、僕はいつも、今周りにいるチベット人たちのことを考えていた。
例えばゾシマ長老の死の間際の民衆の神秘への期待。そしてその後のあからさまな失望。それを斜めにながめている無神論者。そんなシーン。

カトマンズに来てから、空気の悪さか環境の変化か、連れの彼女の具合がいまいちすぐれない。咳も出るし、なにより猛烈に頭が痛いと訴える。日本から持ってきたバファリンを渡すがよくならない。
そのとき彼女が突然思い出す。「あれがあったじゃん!」2種類の小さな丸薬のようなものを取り出す。一つは「マニリブ」といってダライラマ法王のパワーが込められていると言われている。もう一つはダラムサラのネチュン寺でもらった色は違うけどマニリブと同じようなもの。ネチュン寺はダライラマ法王にお告げを与えるシャーマン的役割を担う神様のお寺である。彼女はこの二つの丸薬を数粒づつ取り出し、ティッシュに無造作にくるんで火をつける。部屋に立ちこめる煙。その煙を大事そうに顔にあてる彼女。そして彼女は言うのである。「あっ治った!もう痛くない!」えっもう?バファリンなんて糞食らえってなもんだ。
彼女はこんな話も聞かせてくれた。彼女が子供の頃、カルマパ(チベットの最高位のお坊さんの1人)がラサ、ポタラ宮を訪れた。当然一目見ようとみんなお寺に集まる。近所に住んでいた彼女も周りの大人とともにお寺へ。ただそのとき彼女は猛烈な歯痛に見舞われていた。それでもどうしても一目みたい。やがてみんなの前にカルマパが現れる。そして彼女の前で足を止める。「どこか痛いの?」まだ少年だったカルマパは彼女の顔を覗き込む。歯痛の話を聞くとそっと彼女の頬にてをあてて、もうだいじょうぶだよと言った。「それからね、ホントにすぐ痛みが引いたんだ。あれから一回も歯が痛くなったことはない。小ちゃいのはあったかもしれないけどね」
また、彼女はお寺でお祈りするとき、たまにダライラマ法王に文句を言うらしい。「どうしてこんなにたくさんのチベットの人たちが苦しんでいると言うのに、どうしてあなたはパワーを使って助けてくれないの。その赤い僧衣の下に隠してることはみんな知ってるんだからね。いつも私は普通の人間ですなんて嘘言ってるけどみんな知ってるんだよ。」

そんな話を聞いて、僕の立ち位置はとても微妙なものになる。やっぱりまったく信じきることもできないし、カラマーゾフの次兄イワンのようなリアリスト、無神論者にもなりきれない。ただ、身近な人が目の前でそう言うたぐいの話をしているのを聞き、そのときの彼女の高揚した顔つきや息づかいを僕は知っている。それは僕の生身の体験だ。同じようにそうやって彼女の生身の体験を手渡されている、そんな気分になるのである。


今日も僕たちはスワヤンブナート寺院の周りを散歩する。ここはモンキーテンプルと言われるくらい猿がたくさんいる。
僕らの目の前に中国人の若い4人組のツーリストを発見する。彼女は僕の手を引っ張り中国人を追い越しにかかる。そして大きな声で、はっきりとしたわかりやすい英語で、僕に話しかける。
「猿がいっぱいいるねー。ねえ知ってる?中国人って猿の脳みそも食べるんだって。猿まで食べて、そのうえよその人の土地まで食べて、どんだけ大きなおなかしてるんだろうねー。」
ビックリした顔をしている中国人がちらっと見えた。
あーやっぱりカラマーゾフだ。

聖も俗も人一倍過剰なカラマーゾフ家。僕はチベット人に、いやもしかしたら彼女にカラマーゾフ的激流を感じずにはいられないのだ。



2014/01/19

カトマンズのチベット人

カトマンズ、スワヤナンブー寺院の裏手の安宿にいる。

はじめの数日はツーリストエリアであるタメルにいたけど、お寺に近い方がいいという彼女の希望で、いやというよりタメルより断然安いということでこっちに移ってきた。
宿はチベット人の経営で、スタッフもお客もチベット人ばかり。そして1階のレストランでは中華料理が食べれる。なかなかおいしい。タメルにいた時、とにかくたくさんいる中国人ツーリストにいちいち舌打ちし、僕らに「ニーハオ!」と話しかけてくるネパール人の物売りに「一発お見舞いしてやろか。あたしはチベット人だっていうの!」と息巻いていた彼女であるが、大好きな麻辣豆腐の前では形無しである。日本で言えばヒラタケのような平べったくて白くて大きなキノコの炒め物をメニューに見つけたときは「あたしは10年もこれが食べたくて食べたくてどうしようもなかったんだ」と泣き出さんばかり。舌の記憶、中華料理恐るべし。

やっぱりチベット人はチベット人。
彼女はまわりから聞こえるチベット語に大満足である。英語だってネパール語だって達者なのにどうして?とちょっと思う。オレなんか英語だって満足にできないけど別に日本人いなくたって平気だけどなと思うけど、ただの旅行で来てる身とはやはり違うんだろう。ここでも、ボダナート(ここも大きな仏教寺院がありチベット人がたくさんいるエリア)に行っても、赤い服を着たお坊さんを見つけるとなんとなく話しかけてみたりしている。それでネパール語で返事がかえってきたりするとあきらかにウエーっという顔をするのだが。そりゃもちろんネパール人のお坊さんだっているだろうよ。

彼女にとって約10年ぶりにネレンカン(チベット難民収容所)を訪ねてみる。思ったとおり中には入れてもらえなかったが、当時からいるという先生というか職員のチベット人のおじさんと入り口で偶然会い話し込んでいた。
「あのオッサンとはケンカばっかしてたんだよ。ほんとにスケベなオッサンで、亡命したばかりの女のコを自分の部屋につれこんではあんなことやこんなことや…」
彼女は当時の、約半年のネレンカンでの思い出を話し始める。道中でボロボロに穴のあいた靴。新しい靴を買う金なんてもちろんなかった。ギュウギュウ詰めで雑魚寝のホール。悪臭。そこで繰り返される亡命者同士の喧嘩。ナイフだって出てくる。すぐ横で聞こえる男女の喘ぎ声。とにかく粗末な食事。そしてその祖末な食事にありつくための長ーい行列。
「あー失敗した、来るんじゃなかったって思った。」
懐かしさもあるけどそれだけじゃない、いろいろ混じったような顔で、彼女はチャン(チベット式どぶろく)をいっきに飲み干した。

宿の近くのスーパーでシャ・カンポ(干し肉)を見つける。チベット人はとにかくこれが大好きだ。ネパール式にスパイスも使っての赤い干し肉ではなく、いかにもシンプルなヤツ。宿に戻りさっそく一口齧りついて彼女が大きな声をあげる。
「これがホントのシャ・カンポだ!これ絶対ヤク肉だし、これ絶対チベットで作ったヤツだよ!」
デリーのチベット人地区でもシャ・カンポは売られているけど、たしかにそれとは違う。固さ、歯ごたえ、肉の裂け方、内側に残った肉の赤色は、とても寒くてとても乾燥した土地で短時間に干しあげて熟成させた感がある。そして脂身の食感の違い。デリーで売られているのは水牛の干し肉だろうか。僕もいつのまにかシャ・カンポの違いのわかる男になったようだ。
「ネパールのポリスはチベットから来たチベット人のシャ・カンポを取り上げて、包み直して売りさばいてるんだ!」
たしかに簡易的なビニール包みの開け口を、再び折り畳んでライターで炙って閉じ直し「ほらおんなじじゃん。こうやってんだよ!」
数年前インドブッダガヤで、ダライラマ法王による灌頂カーラチャクラが行われたとき、たくさんのチベット人がブッダガヤにやってきたが、途中でみなシャ・カンポは取り上げられたと彼女は言う。「そんとき親戚もあたしへのおみやげにって持ってきたシャ・カンポ取られちゃったんだ。これはあのときのあたしのシャ・カンポに違いない!」
ネパールでだってシェルパ族とか高地の人たちはヤク飼って干し肉作ってんじゃないのなんてことを言っても、鼻息荒くシャ・カンポにかぶりつく彼女は聞く耳を持ってくれないだろう。


どこにいてもチベット人はチベット人である。





2014/01/12

国境越え

2泊3日の弾丸バス、デリー発カトマンズ行き。
飛行機なら1時間そこらで着くし、僕にとってはそっちがいいのは言うまでもない。
でも今回は連れがいる。
チベット人の連れにとってネパール行きはそんな簡単な話ではない。正式な手続きを踏むとなるとおそらく時間がかかる。正確に言うとインドの中でも長い旅行に行くとなると面倒臭い手続きが必要ということになる。しかも許可しないと言われりゃそれまでだ。亡命者としてインドにいる立場の不確かさ。
でも実際僕はネパールでインドからのチベット人にたくさん会ったし、ダラムサラの友人たちにもネパールに遊びに行った人たちはいた。結局みんなどうしてるかと言うと、陸路で国境に行って適当なことを言ってお金を渡して、はいおしまいということのようだ。まあもとよりルールの外で越境してここにいる人たちである。驚く話ではない。

ということでバスの出発場所へリュックを背負って2人で向かう。きっと他にもチベット人がいるだろう、その人たちについていきゃいいよね、はじめてのネパール行き(もちろん亡命時はネパールからインドに来てるのだがそれを除いて)の彼女は軽く笑う。意外と小心な彼女は間違いなくドキドキしているんだろうが。
しかし行ってみると我がバスはみんなネパール人ということがわかる。あとは僕ら、チベット人1人日本人1人。
車掌の兄ちゃんの「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という軽い言葉で僕らのバスは出発した。

バスは暴力的かつ牧歌的に突き進む。車内の大音量インドポップスにノリノリであろう運転手は親の仇を追うかのように先行車を一台一台ぶっちぎっていく。もちろんクラクションは鳴らしっぱなし。誰かが尿意を催し運転手に止まるよう催促しても「ダメダメちょっと我慢しな。いいところがあるから。」そして実際、山あいの絶景ポイントで車をとめ「ほーらこっちの方が気持ちがいいだろ。ぞんぶんにやりな。」という具合。途中、道ばたで籐で編んだ丸椅子が並んで売られているとバスを止め車掌が椅子を買いにいく。多分前方の運転席(扉の向こうに何人いるかはよくわからない)で座席が足りなかったんだろう。それを見て他の乗客も「あらいいじゃない」とばかりに次々と椅子を買う。バス旅の途中でこんなでかいものを買うヤツの気が知れない。おかげでせまい通路は椅子が折り重なることになる。
そんな感じで、どこを走っているのかは全くわからないが(実際僕はどこのボーダーにいくのか知らなかった)とにかくまっすぐ前に進みつつ夜は更けていく。

明け方前、目を覚ますと車は止まっている。霧なのかなんなのか周りが全く見えない。はてさて此の世であろうか彼の世であろうか。とりあえず外に出て一服する。
どうやら国境は近いらしい。ここで無事に皆でネパール入りするための作戦会議というところだ。寝ぼけ眼の彼女も状況を飲み込んだらしく車掌の言葉を待つ。大方のネパール人たちにとっての問題は、屋根の上に積んだり車内にある大量の荷物であり、余計にチェックされて関税をとられたりしないようにいうこと。買い込んだたくさんの服があったらみんなで手分けして着てしまえとか、テレビとか大物があったらばれないようにここにおいとけとか、車掌はてきぱきと指示を出す。最後にはみんなから100ルピーづつ集める。袖の下用の資金ということだ。

僕らには、いや僕はとりたてて後ろめたいことはないので普通にしてりゃあいいのだが、チベット人の彼女に対しては「ネパール語ができるんだから、ネパール人と言い張れ。身分証みたいなのは忘れたことにしろ。みんな助けるからだいじょうぶ。」ということだった。彼女の身分証は全部僕のリュックの奥にしまっておくことにした。
デリーでも聞いた話だが、いまネパールは中国の影響が強く、当然チベット人に対してはかなり厳しいチェックが行われるようだ。大事な身分証を取り上げらることだってあるという。ちょうど去年の8月僕がカトマンズにいた頃に起きたボダナートでの焼身自殺のあとそれは顕著になっている。

明るくなるのを待ちバスはゆっくりと国境へと進む。
彼女の緊張は頂点に達している。が、僕にはどうすることもできない。まあなるようにしかならないと言う心境。外国人は最後ということでみなを見送ったあと、ぼんやり手荷物を持ってバスを降りる。
インド側ゲート。「あなた1人?」おざなりな手荷物検査の女性係官に突然聞かれる。「えっ?もちろん1人だよ」
予想外の質問に狼狽をやや隠しきれない僕。連れの彼女のことを深く突っ込まれては面倒なことになる。「ホントに?私はそうは思えないんだけどな」となりの強面のオッサンにつぶやく。「誰と一緒なの?」「いやだから1人だって。1人のただの日本人の旅行者ですって。」パスポートを見せていいながら、ハっと気づく。あっオレの手提げ袋に車内でのおやつやらなんやらとともに彼女の生理用品が入っていた。だからだと思っても手遅れ。強面のオッサンにリュックをすっかりひっくり返される。当然見つかる彼女の身分証いろいろ。「これ誰の?」「いやこれはインドにいる友達に預かってるもので、僕のじゃないし、それに僕はちょっとおなかの具合が悪いもんで…」最後のは生理用品に対する言い訳のつもりだったが、ちと無理があったか。
しばらく押し問答が続いたが、最終的に僕は自分のパスポートをヒラヒラさせて、なんにも問題ないでしょということだけを言っていると、だいぶ納得いかなそうではあるが、まあ行っていいよということになった。
こんなに国境でドキドキしたのは初めての経験だ。
なんだか知らないけど火照ってしまった体のままネパール側に歩き、イミグレーションで手続きを済ませる。
外ではすでにみんな乗り込んだ僕らのバスが待っていた。
「なーにぼやぼやしてたの?みんな待ってたんだよ。私は全然なんにも言われなかったよー。どうしたのなんか猿の尻みたいに真っ赤な顔してるけどー。」
なんて呑気な彼女に「みんなあんたのせいなんだよ!」なんてことはとてもじゃないけど言えなかった。

まあともあれ、無事にみなでカトマンズへとまっしぐらなのである。






2014/01/10

チベット人の友人の見送りに空港へ。
一年以上すったもんだがあったけど、ようやく夫の待つフランスへ行くことになった。
最後の最後までバタバタしてるのを見てて、彼らの仕事っぷり(ガイド役のチベット人も含め)にクエスチョンマークだらけだったけど、無事に行けたので良かったことにしよう。

大好きな叔母さんと離れるのを察して彼は泣き通しだったけど、飛行機見ていろいろ忘れて大喜び。

みんな元気で。
いつか遊びにゆくよ。


2014/01/09

デリーに来て見たけど
なんだか先の見通しが立たないなと思ったら
モウレツなスモッグだということに気がついた。



2014/01/08

朝早くお寺へ。
リンコルまわって、中でゆっくり。
去年の2月に初めて来たわけだが、ほぼ1年経ってここで考えることもずいぶん変わったもんだ。

とりあえずダラムサラ最終日。
部屋も徹底的にきれいにしたし、ビール飲んでこよ。


2014/01/04

年末年始に大騒ぎしてたインド人もいなくなったのか、日に日にひとけがなくなってる気がするマクロード。
俺もどっか行こっと。

2014/01/03

2014。新しい年。
今年も自分がどこに向かうのか、よくわかってない。
わかってるようでわかってない。

とりあえず目の前の石に聞いてみる。



2013/12/31



仕事納め、というか大掃除の日。明日から2ヶ月冬休み。
一応1シーズンお手伝いしたつもりでいるけど、はたしてどれほどお役に立てたかはなんとも言えません。
でもこちらはとても得難い経験をさせてもらいました。新しい人たちにたくさん会ったし。
ありがとうございましたルンタレストラン。

チベット人にとっては今日も普通の日だけど、インド人はとりあえず大騒ぎしてます、今日のダラムサラ。
雨だかみぞれだかでとても寒い。

みなさま良いお年を。



2013/12/30

年の瀬だし何かと宴会続きだろうし…。
「イッツ ジャパニーズ トラディッショナルゲーム!!」
ひとつ仕込んでみました。