雪の国の子供達
先日上野アメ横に行った。あの辛い麺を食べないと死んでしまうという奥さんの強い希望で、いつも行く中国人のやっている屋台のようなところにまっしぐらである。いつのまにかアメ横は外国のようになっており(といってもケバブ屋と中国人屋台がほとんどなのだが)、気軽に旅行気分を味わうのにはもってこいである。休日でだいぶ混み合っている。
そしてアジアの食材屋がいろいろ入っている建物へというのがいつものコースである。僕はタイ食材屋でフレッシュハーブを買い、インドの店でスパイスを物色するのがお決まりであり、奥さんは中国人の店で火鍋の素やらなんやらかんやら漢字のいっぱい書いてある赤くて辛そうなものをいろいろ買う。
その店で彼女が「これ懐かしいー」と大きな声を上げた。手には 白いウサギの書かれた包み紙の飴の袋。なかなかかわいいデザインである。会計を済ませるやいなや、彼女は袋をかじり開け、飴玉を口に放り込む。そしてうっとりとした顔をし、もう一つを僕の口に乱暴に放り込む。ミルクキャンディである。ほのかな甘みの素朴な昔懐かしというような味である。まあ可もなく不可もなくである。そういう感想をそのまま彼女に伝えると、「あなたにはそうかもしれないけど、初めて食べた時はびっくりしたんだよ、こんなにおいしいものがあるのかって。私はいつもこれが食べたくて食べたくてしょうがなかったんだ」と彼女は言う。
チベット、ラサでの彼女の記憶。舌の記憶は鮮烈である。
最近現代チベット人作家の小説を読んだ。「雪を待つ」とういう本。おそらく僕と同世代の作者である。物語は主人公「ぼく」の子供時代である1980年代と、大人になってからの2000年代が行ったり来たりしながら語られる。時代的にはチベットの山村の伝統的な暮らしが変化し始める「ぼく」の子供時代があり、大人になり現代的な都会暮らしをしている「ぼく」がいる。幾つものエピソードを絡ませ反復させグイグイと読ませるストーリーテリングの巧みさに脱帽したのであるが、一つ一つのエピソードの、特に子供時代のそれの鮮やかかさ、瑞々しさに心を揺さぶられた。そこには僕がまだ見たことのないチベット、僕が夜な夜な思い描いていたチベットがあった。
そこでたびたび登場するのが「ミルク飴」である。子供たちにとって特別なもの。街にいったお父さんがお土産にくれる一個のミルク飴。「あのことはお母さんには内緒よ」とお姉さんに渡される、お願いごとの対価としての一個のミルク飴。子供たちはいつもミルク飴に心踊るのである。
なるほど、このことか!と僕は膝を打つ。奥さんが大事に食べている白いウサギのミルク飴を、僕も一ついただき、じっくりと味わうことにする。そう思って食べるとこの素朴さがスペシャルに感じるのは気のせいか。
いったい彼女はどんな子供時代を過ごしたのだろうか。一番身近な人でありながら、いまだにイメージしきることができない。やはり僕がその土地、チベットを知らないからだろうか。彼女の口から聞く思い出話はかなりワイルドで荒々しいものだ。兵隊の倉庫のようなところに忍び込んで食料を食べ散らかしたり、家の大八車のようなものに子供達で乗り込んで走り回り、自動車と衝突事故を起こしたりしている。年上の兄弟友達ばかりで、彼女を置いていつも先に逃げてしまい、最後は決まって一人、大人に取り囲まれ泣いていたそうだ。お母さんと喧嘩をし、家出をしたことがあったと聞いた。たぶん6歳ぐらいだったと思うと。あてもなく家を飛び出し、数日乞食の子供たちと一緒に毛布にくるまって寝たという。そのうち中国人の娼婦のお姉さんたちにうちにおいでと言われ、そこで厄介になっていたらしい。彼女は小さいときから中国語が上手だったという。娼婦たちが共同で暮らす家に転がり込みいろいろ面倒を見てもらい、楽しくやっていたそうだ。夜はみんな仕事に出かけるのだろうから、化粧の匂いの残る部屋で一人、ミルク飴を存分に舐めながらテレビでも見ていたのだろうか。僕はこんな奔放な子供時代を送ってきた人を他に知らない。
そんな彼女が、常識も価値観もまるで違うであろうところで生まれ育った彼女が、今ベランダで洗濯物を干している。その後ろ姿を見ながら僕はビールを飲んでいる。この言いようのない不思議な感覚が今日のビールの「あて」である。
先日上野アメ横に行った。あの辛い麺を食べないと死んでしまうという奥さんの強い希望で、いつも行く中国人のやっている屋台のようなところにまっしぐらである。いつのまにかアメ横は外国のようになっており(といってもケバブ屋と中国人屋台がほとんどなのだが)、気軽に旅行気分を味わうのにはもってこいである。休日でだいぶ混み合っている。
そしてアジアの食材屋がいろいろ入っている建物へというのがいつものコースである。僕はタイ食材屋でフレッシュハーブを買い、インドの店でスパイスを物色するのがお決まりであり、奥さんは中国人の店で火鍋の素やらなんやらかんやら漢字のいっぱい書いてある赤くて辛そうなものをいろいろ買う。
その店で彼女が「これ懐かしいー」と大きな声を上げた。手には 白いウサギの書かれた包み紙の飴の袋。なかなかかわいいデザインである。会計を済ませるやいなや、彼女は袋をかじり開け、飴玉を口に放り込む。そしてうっとりとした顔をし、もう一つを僕の口に乱暴に放り込む。ミルクキャンディである。ほのかな甘みの素朴な昔懐かしというような味である。まあ可もなく不可もなくである。そういう感想をそのまま彼女に伝えると、「あなたにはそうかもしれないけど、初めて食べた時はびっくりしたんだよ、こんなにおいしいものがあるのかって。私はいつもこれが食べたくて食べたくてしょうがなかったんだ」と彼女は言う。
チベット、ラサでの彼女の記憶。舌の記憶は鮮烈である。
最近現代チベット人作家の小説を読んだ。「雪を待つ」とういう本。おそらく僕と同世代の作者である。物語は主人公「ぼく」の子供時代である1980年代と、大人になってからの2000年代が行ったり来たりしながら語られる。時代的にはチベットの山村の伝統的な暮らしが変化し始める「ぼく」の子供時代があり、大人になり現代的な都会暮らしをしている「ぼく」がいる。幾つものエピソードを絡ませ反復させグイグイと読ませるストーリーテリングの巧みさに脱帽したのであるが、一つ一つのエピソードの、特に子供時代のそれの鮮やかかさ、瑞々しさに心を揺さぶられた。そこには僕がまだ見たことのないチベット、僕が夜な夜な思い描いていたチベットがあった。
そこでたびたび登場するのが「ミルク飴」である。子供たちにとって特別なもの。街にいったお父さんがお土産にくれる一個のミルク飴。「あのことはお母さんには内緒よ」とお姉さんに渡される、お願いごとの対価としての一個のミルク飴。子供たちはいつもミルク飴に心踊るのである。
なるほど、このことか!と僕は膝を打つ。奥さんが大事に食べている白いウサギのミルク飴を、僕も一ついただき、じっくりと味わうことにする。そう思って食べるとこの素朴さがスペシャルに感じるのは気のせいか。
いったい彼女はどんな子供時代を過ごしたのだろうか。一番身近な人でありながら、いまだにイメージしきることができない。やはり僕がその土地、チベットを知らないからだろうか。彼女の口から聞く思い出話はかなりワイルドで荒々しいものだ。兵隊の倉庫のようなところに忍び込んで食料を食べ散らかしたり、家の大八車のようなものに子供達で乗り込んで走り回り、自動車と衝突事故を起こしたりしている。年上の兄弟友達ばかりで、彼女を置いていつも先に逃げてしまい、最後は決まって一人、大人に取り囲まれ泣いていたそうだ。お母さんと喧嘩をし、家出をしたことがあったと聞いた。たぶん6歳ぐらいだったと思うと。あてもなく家を飛び出し、数日乞食の子供たちと一緒に毛布にくるまって寝たという。そのうち中国人の娼婦のお姉さんたちにうちにおいでと言われ、そこで厄介になっていたらしい。彼女は小さいときから中国語が上手だったという。娼婦たちが共同で暮らす家に転がり込みいろいろ面倒を見てもらい、楽しくやっていたそうだ。夜はみんな仕事に出かけるのだろうから、化粧の匂いの残る部屋で一人、ミルク飴を存分に舐めながらテレビでも見ていたのだろうか。僕はこんな奔放な子供時代を送ってきた人を他に知らない。
そんな彼女が、常識も価値観もまるで違うであろうところで生まれ育った彼女が、今ベランダで洗濯物を干している。その後ろ姿を見ながら僕はビールを飲んでいる。この言いようのない不思議な感覚が今日のビールの「あて」である。