2014/03/02

あたらしい年

今年3月2日はチベット歴の新年「ロサ」である。
チベット人はこの日の二日前から準備を始める。日本で言えば年越し蕎麦のような意味合いでトゥクパを作り、部屋の掃除をし、仏壇の飾り付けをする。飾り付けも簡単なものではない。いろんな形のカプセ(小麦粉、牛乳、バターなどで作る揚げ菓子のようなもの)を作り並べたて、ダライラマ法王の写真や仏教画の周りを飾り付ける。他にもツァンパやお祝い用のご飯、お菓子、ジュース、果物、カタなどなど用意しなければいけないものはたくさんある。「ロサ マレ、レサ レ」。チベット人は冗談でそう言うらしい。「『ロサ』じゃないよ、ほとんど仕事だよ」という意味。二日前に作るトゥクパの中にはおみくじのような紙を混ぜ込み、食べた人の新しい年を占うらしい。そうやって一生懸命準備をし、新しいきれいな服を用意し、新しい年を迎える。本来ならば新年は15日間お休みして祝い続けるという。15日間ってそんなに悠長に新年を祝ってるのはチベット人ぐらいなものだ。ただ最近はダラムサラでは、チベット本土で続く焼身自殺などの状況を考え、2008年以降自粛ムードにあったようだが、今年はチベット人の伝統を若い世代に引き継ぐために、騒ぎすぎない程度にということで、ロサ解禁のお達しがあったようだ。もっとも僕はいなかったのでいままでのことは知らないし、みんながホントに自粛できていたかどうかはクエスチョンマークである。ちなみに妻は数年前のロサに3人で10キロの肉を食べて3人そろっておなかを壊したと言っていた。

そんなロサを彼女は日本で迎えることになった。ダラムサラやカトマンズの友達から送られてくる大晦日の様子を見るまで、彼女は今日がその日だと言うことを忘れていたりするのだが、いざロサモードに切り替わると急にソワソワし始める、というより興奮し始める。チベット娘の心の中の爆竹はいつでも点火待ちなのだ。どんどん出てくる故郷ラサでの家族とのロサの思い出。ビール片手に、彼女は真夜中ずいぶん遅くまで僕に話してきかせてくれた。

そして3月2日。僕らは在日チベット人たちによるロサのパーティーに行った。
その日の東京は冷たい雨。しかしチベット人にとってこういう日の雨は祝福の雨。神様がお祝いの花を降らせてくれているのだ。ただそれが僕たち凡人には雨にしか見えないだけ、彼らはそう言う。思えばダラムサラでもダライラマ法王のティーチングのある日は決まって雨が降っていたような気がする。それもどしゃ降り。それでティーチングが終わる時間になるとすっかり上がっていたりした。祝福の雨、うん、なんか悪くない。
会場である川崎のお寺の小さなホールに到着する。受付ではきれいなチュパを身にまといしっかりメイクアップした若い子が僕らを案内してくれた。東京に来て一週間、初めてチベット人に会ったということになる。彼女も持ってきたチュパに着替える。会場に入っていく彼女の背中に向かって、負けんじゃねえぞニューカマーよ、つぶやいてみたりして。

亡命チベット人社会から日本にやってきているチベット人は100人程だという。アメリカ5000人、スイス3000人などの数字をみると圧倒的に日本は少ない。もっとも難民として認められていない日本にわざわざ来るメリットはチベット人にとってまったくといっていいほどない。少ないのも当然だ。チベット本土から留学生として中国パスポートで来てる人たちはもっといるようだが、その人たちと、亡命チベット人が出会う機会はほとんどないそうだ。日本にいたって中国大使館の目がどこにあるかはわからない。本土の人が亡命した人と接触するというのはそれぐらい危険なことなのだ。逆に言えばそれだけ中国政府が恐れているという言い方も出来るかもしれない。そう言えば前回日本に帰ってきたときに本土のチベット人映画監督の上映会に行ったが、彼はとてもとても慎重に言葉を選んで自分の映画について語っていた。日本にいると考えもつかない息苦しさが、隣の国には存在している。

いつの間にか彼女はチベット人の女の子たち(?)の輪に加わっていた。聞いてみるとみな日本語も出来るし、それぞれ仕事もしているようだ。彼女がほんの1週間前に日本に来たことを知ると、いろいろアドバイスをくれた。いわく日本語が出来ないうちはなかなか大変だよ、他の国とちょっと違うよ日本は。でも日本語がちょっとでも出来るようになるとけっこう心地よいよ。日本人みんないい人だし、とまで言っていたかどうかは記憶が定かではないが、みんな自分が苦労してきた分、新しい仲間に親身になってくれる。たまにみんなであつまって遊ぶからいっしょにおいでよ、カラオケでも行こうよ。まあカラオケのことを話してたかどうかも分からないけどそんな感じだ。同世代の女子が集まっている感じ。日本に来ても特に食べ物に関しても不自由なさそうだし、僕の家族たちとも楽しくやってけそうだったのであまり心配はしてなかったけど、やはり自分の国の言葉で気安く話し合えるというのは大事なことなのだ。さっそく電話番号の交換をしている。こうやってすこしづつ異国の中に自分の場所を作っていけたら、いつの間にか異国の風景も違って見えるんだろうなと、僕はやや他人事みたいに女子たちを遠巻きに眺めていた。


さてさてロサのパーティーである。始まりにみなでお祈りをしたりはしたが、基本的にはいつものチベット人の宴会スタイル。ご飯を食べ、酒を飲み、あとは歌って踊って、カードやサイコロなど気ままにダラダラと。チベットやインドのヒットソングが大きなスピーカーから流れる。自然にできる人の輪。僕にしきりに一緒に輪に入って踊ろうと彼女は言う。僕は断る。「行ってみんなといっしょに踊ってきなって」僕としては踊ったっていっこうに構わないのだが、踊ったら踊ったで踊りがかっこわるいとか文句を言われるのがオチなので踊らないことにする。「行ってきな、行ってきな」「えーちょっと1人じゃー」「いいからいいから」「いやでもー」そんなこといいながら彼女の体は勝手に動き出している。イッツオートマティック。ポンと背中を一押しするだけで、あっというまに輪の中に溶け込んでいく。あっというまに見えなくなってしまう。