2014/02/22

「アウトカントリー」というやつ

妻は、一月に子供と二人で夫の待つフランスへと旅立ったお姉さんとたまに連絡を取っている。
亡命してきた難民としてフランス政府に受け入れられているのでなかなか手厚いサポートがあるようだ。家が用意され、毎月の補助金があり、毎日食料の配布もある。野菜、果物、缶詰類、バケットなどを両手いっぱい抱えている写真を見ると、はっきりいってうらやましい。いつまでかはっきりとは分からなかったけど、しばらくは補助をうけられるようだ。
夫はすでにチャイニーズレストランで働いているし、お姉さんももうすぐ働き始めることが出来るらしい。何年か二人でガッツリ働く。学校に行く年齢になったら子供はチベットの親戚のところへ預け、向こうの学校に行かせる。十分稼いでチベットに戻り家族みんなで暮らそう、それが今の彼らのプランだ。
フランス語も英語もろくに話せない彼らの仕事がチャイニーズレストランになるのは妥当なところなんだろう。そしてやっぱりフランスに根を生やすという考えはないようだ。自分で選んで亡命してきたのだけれど、やっぱりチベットに帰りたい。亡命したときは彼らが何を求めて出てきたかは僕には分からない。いつ亡命してきたかによって向こうの様子がだいぶ違うので状況は人それぞれだ。
ただ言えるのはインドにいることに未来を感じることは出来ない、そういうことだ。
やはりお金の問題である。信仰だけではお金は降ってこない。神様はおなかまでは満たしてくれない。

ダラムサラでiPhone持って、Mac持ってという人はだいたい海外の親戚などから送金のある人だ。そんな人たちは仕事もしないでぶらぶらしてられる。朝から晩まで働いてる人たちは、そういう人がいない人。iPhoneなんて夢のまた夢。インドのサラリーなんて部屋代払って電気代払ってもうおしまい。妻がよくそんなことを言う。だからみんな外国に行きたがる。
みなスマートフォンで毎日通貨レートをチェックし、韓国ウォンが上がった下がった、シンガポールはどうだ、マレーシアはどうだと一喜一憂してる。どこの国に行って働くか、どこの国で働くのが割がいいか、そんなことを考えている。通貨レートだけじゃなくてその国の物価とかいろいろ他の要素もたくさんあるだろうにとも思うのだが、みな夢を見ている。

2000年頃まではお坊さんや尼さんは比較的容易に外国へ行けたらしい。チベットから亡命してくる人たちも多かったその頃、ヨーロッパを始め諸外国の支援が厚かったということだ。それでたくさんの人が外国へ行った。外国に行きたいがためにお寺に入った人もたくさんいたという。その後亡命政府の意向もあったのかインドから出国する審査というのが厳しくなったらしい。
政府、NGO、支援団体、個人のスポンサーなどの正式な招待のもとに外国にいくのが1つの方法。これは抽選や審査があったり、たくさんの枠があるわけではないので競争率はかなり高い。2つめが先に行った配偶者や親戚に呼び寄せてもらう方法。それもだめなら残っているのはイリーガルな方法。ブローカーのような人がいる。どうやってその国まで行くのかと思うが、いろんな方法があるんだろう。山を越えたり、海を渡ったり、偽造パスポートを使ったりというところか。目的の国の国境まで来てしまえば、パスポートなんかは全部捨てて、亡命してきました!と両手を上げる。ブローカーにはかなりの大金を払う必要がある。インド、チベット、海外の友人親戚からかき集めてようやくお金を作る。向こうについて働き始めればお金は返すことが出来る。ただ成功するかどうかは運次第。実際以前レストランで一緒に働いていた友人はヨーロッパを目指したが、途中イラクかどこかで捕まり、強制送還となった。道中自分が今どこにいるかよくわかってなかったという彼は、数ヶ月後にすっかりやつれ、髪もひげももじゃもじゃになって帰ってきたという。
彼はその後もオーストラリアの抽選に応募し続けているが、いっこうに受からない。彼の隣に住んでいる人が受かった。隣人はもうすぐオーストラリア、友人はまだダラムサラ。
もう一人別の友人も、いろんなところにいろんな方法で外国に行くためにトライしているが、いっこうに書類が通らない。この間会ったとき、もう疲れたとこぼしていた。インドに来て10年、先の見えない不安。こんなことならチベットに戻ろうかな、チベットに戻ってレストランを開こう。彼はそう言う。故郷に戻って家族の近くで暮らし、ツァンパを食べてた方がよっぽど幸せなんじゃないか。最近お母さんからしょっちゅう電話が来るんだ、ご飯ちゃんと食べてるか、ブランケットは暖かいのがあるかって。いつもおんなじことを言うお母さん。もう年取ったお母さんに心配かけさせてるのもよくないよな。小さな口をさらにつぼめて、彼はそうこぼす。

実際チベットに戻る人も多い。政治的なことに口を閉じてさえいれば、仏教のことは心の中にしまってさえいればいいんだ、そうすれば今よりは楽な暮らしが出来る、彼らはそう言う。それじゃあ経済的な幸せが人々の幸せだと信じて疑わない中国政府の思うつぼなんじゃないのか、と僕は思う。町中に武装した警官が立って監視されていたって暮らしがよければ我慢できる?ダライラマ法王の写真の代わりに毛沢東の写真を飾れと言われて我慢できる?と僕は思う。だけれど僕に口を挟む資格は全くない。いっこうに状況の変わらないチベット問題にいらだつ彼らの気持ちを、僕は完璧には共有することは残念ながら出来ない。

それぞれの逡巡と決断。

ところで僕たちは日本で暮らすことにした。
外国人にとって、きっととっても暮らしにくいであろう日本で暮らすことにした。この先どうなるか、自分と彼女の分ニ倍よくわからないことになっている。
日本政府はチベットという国の存在を認めていないので、彼女は無国籍ということになる。
無国籍と宿無し職無し。ないないづくしの僕たちである。

はてさてこの先どうなることやら。乞うご期待。いや危なっかしくてしょうがないな、実際。