はたしてビールびんの中にホーキ星ははいっていたか?
新しいお店を始めた。「ホーキ星」という店。東京下北沢である。
店を作ったのは2度目となる。以前は国分寺で「トネリコ」という店をやっていた。最初の店を始めたのはもう10年ほど前の話になるのか。
なんでも初めてのことは、いちいちエキサイティングな出来事である。物件を探し、業者を探し、内装を考える。ペンキを塗って、備品を買い揃え、メニューを作る。見たこともない大金をあちらからこちらへ。そんな初めてだらけの日々を楽しんでいた。当時のことを書いたものを読み返すと、なんとも言えない心持ちになってしまうのはいろいろな事情が絡まり合っているからかもしれないが、ともかくフレッシュな感じがする。いってしまえばなかなか気恥ずかしい。
そしてやはり2度目は2度目だ。僕は気付かぬうちに大人になっている。自覚はないが過ぎた時間はそのまま経験として積み重なっているようなのだ。10年前、初日は6時オープンの予定が8時になった。時間どおり来てくれた数人のお客さんを帰した。開けたはいいが、ぽつぽつ入った料理のオーダーを眺め、何をしていいかわからず、ただただしゃがんで冷蔵庫を開け閉めしていた。ほんの数時間の営業で疲れ果て、片付けも出来ず、記念すべき最初のおつかれビールの乾杯もせず、お客さんが帰ると同時にそのまま店で寝てしまった。そんな僕はもういない。こんな仕事するんじゃなかったと初日に心底後悔した僕はもういない。
ということで、実にさらっと、落ち着いた顔をして始まったというのがひと月ほど経った僕の印象である。まあお客さんが見てどう思っているかは別の話なのだが。
店の外には「ワインと料理 ホーキ星」という看板がある。それ以外は特にない。2階なので中を覗き込むこともほとんどできない。知らない人には情報は少なすぎるという気がする。しかし残念ながら、僕は店をわかりやすく説明する言葉を持ち合わせていない。どんな料理?と聞かれてもうまく答えることができない。だいたいふりかえってもフランス料理屋で修行していたとか、イタリアに渡り勉強してきたとかそういうわかりやすさが全くない。なんといってもちょっと前までインドでかき揚げ丼を作っていたのだ、チベット人と。わかりづらすぎる。
「バー」とか「レストラン」とかその手の言葉がいろいろあるが、そういうのはあまりすきではないし、勝手に分類もされたくないし、決めたくもない。われながら面倒くさい。
「わかりやすさ」を躊躇するのはなんでだろう。ある種の「わかりやすさ」は、お客さんにとってはとっつきやすいし、よけいな説明も勘ぐりも疑心暗鬼も必要ないわけだし、大切なことではあるというのは理解出来る。しかし、そのとっつきやすさはその分消費されるのも簡単なんではないかということを僕は本能的に思うのである。僕は今の高度消費社会を、簡単に言ってしまえばお客さんを恐れているのだ。新しい店を始めたばかりでそんなあけっぴろげなことを公にいってしまうのもどうかと思うが、本当なんだからしょうがない。これだけ簡単に情報が流れてどっかに通り過ぎていく社会に違和感を感じているとでもいえば理屈が通るか。店とお客がお互いに勘ぐり、疑心暗鬼の時間を経て、手探りで一歩づつ近づいていく、そういうアナログなコミュニケーションの仕方こそが、濃密な時間の流れるいい店を作っていくんではないかと思うのだ。今までもそうやってやってきたし、これからもそうやっていく。これは、2度目の店ではあるが、まだまだ青臭いままでやっていくぜという、一つの決意表明である。大げさで面倒くさいことこの上ない話であるが。
「ホーキ星」というのは稲垣足穂の文章の中から拝借した。彼の文章のファンであるのはもちろんだが、稲垣足穂自身の持つ「得体のしれなさ」に魅せられ、その「得体のしれなさ」にあやかりたいと思っている。そしてなにより「ホーキ星」とは「彗星」のことである。地球上のあらゆるボーダーをあっさりと飛び越えまたどこかむこうへいってしまう軽やかさ。そういう店にしたいと思っている。やや強引ではあるが、これで納得していただけたら幸いだ。
というわけで、みなさま末長くどうぞよろしくお願いします。
こう見えて僕は結構おしゃべりです(酒が入れば)。
ちなみに1年以上放置したままだったこのブログ。インド・ダラムサラから日本へ来るまでの、チベットにまつわるあれこれを書いてきましたが、第2章は下北沢のカウンターの中からの定点観測ということでぼちぼち書いていきたいと思ってます。こちらもどうぞおたのしみに。