朝のリレー
スワヤナンブーの朝は早い。
まだ夜も開けていない4時きっかりに始まる拡声器によるオッサンの演説。近くで何やら集まりが行われているようなのだが、どこなのか、何の集まりなのかはさっぱりわからない。何を話しているかは当然わからない。毎朝のことながら理不尽に中断される穏やかな僕の眠り。そしてほどなく始まるオッサンの高笑い。それに続く大勢の高笑い。朝から知らないオッサンの高笑いを拡声器で聞かされるのはあまりいい気分ではない。いやそれどころかとても癪に障る。繰り返される高笑い。
これはもしや、どこかで耳にしたことなある「笑いヨガ」というやつではなかろうか。不意にそう思う。実際に目にしたこともないし、ヨガのことだってよく知らないのだが、朝っぱらから大勢集まって高笑いするなんてトンチキな話ほかに聞いたことはない。ただどうしてもヨガにあるべき(勝手なイメージだが)清らかさというかすがすがしさみたいなのが全く感じられない。お前はまだベッドの中だろう、ゆうべの酒が残ってアタマががんがんしてるんだろう、そんなヤツが何を言うと言われればそれまでだが、どうもしっくり来ない。これが「笑いヨガ」なのか。ベッドの中でオッサンの高笑いを聞きながらあれこれ想像する。両足を首にかけたり、片足立ちでまっすぐ腕を上げたりしながら高笑いしてるのだろうか。昔見たヒクソン・グレイシーみたいにおなかをビックリするほど引っ込ませたりふくらませたりしながら高笑うのだろうか。暗闇に集まって高笑うのはどんな気持ちなんだろうか。家族に内緒で来てる人はいないだろうか。帰ったら朝ご飯はなに食べるんだろう。間違いなくおいしいだろうよ。
だんだんオッサンの高笑いも耳に馴染み、心地よく聞こえはじめる。再び僕は穏やかな眠りに向かう。
「オム・ア・ラ・バン・ザ・ナ・ディディディディディディ…」
僕は再びこっちに戻される。左隣の部屋の娘が廊下を行ったり来たりしながら大きな声で真言を唱えている。朝の身支度に忙しそうだ。リンコルに行くのだろうか。そろそろ薄く朝日がさしはじめている。ちなみにこの真言は言葉がうまく話せるようにという智慧の神様の真言らしい。吃音の人なんかにディディディ…のところがいいトレーニングということか。まだベッドの中、半分しか覚醒してないアタマで僕も真似をしてみる。「ディディディディ…」
もう一人おじさんも「オン・マニ・ペ・メ・フン」を低く唱えながら廊下を行く。低くぶつぶつつぶやかれるのもなかなか眠りを妨害するもんだ。
1階の中庭のテーブルに人が集まりだしてきた。ようやく雀の鳴き声も聞こえはじめた。宿の前で石やら数珠やらチベットのものを扱う露店のオッちゃんの声がとりわけ響き渡る。薄汚れた白い小さな犬をいつも従えているこのオッちゃんは、僕の思う「ザ・チベット人」である。顔馴染みのおばさんをつかまえてはおしゃべりに興じ、冗談を言ってからかい、腹の底から笑い飛ばす。どこか芝居がかったオッちゃんの話しっぷりからチベットのにおいがムンムンする。大地の土煙が見えてくる。
表通りをリンコルする人たちの話し声が少しづつ多くなる。車のエンジン音も聞こえ、クラクションも鳴り始める。
すっかり朝である。1階のキッチンからカランカランと食器の音が聞こえる。そしてステレオのスイッチが入り、チベット人歌手の流行歌が流れる。大音量で。さっそく右隣の部屋の兄ちゃんたちが音楽に合わせて歌い始める。その向こうの部屋からも歌声がきこえる。ご機嫌の朝の合唱部。
ようやく午前7時。僕はベッドからもそもそと這い出る。バター茶でも飲みに下に降りることにしようか。まったく、朝の弱いチベット人というのはいないもんか。彼女の方を振り返ってみると、まだまだ遠い夢の国にいるようではあるが。
今日も朝から猿たちのキーキーという鳴き声が聞こえる。どこかからかっぱらったチベタンブレッドを奪い合っている。それにしてもここの野良犬たちはどうしてこうも猿に寛大であるのだろうか。