2014/01/24

読書の効用

旅に出る時に、もっとも慎重になるのは本を選ぶこと。
どこにいってどんな気分になるか、いろんな可能性を考え、できるだけコンパクトに有益な本を持っていきたい、そう考える。なんて言っても、実際は思ったとおりの気分になんかならないんだけど。それでもいろんなシチュエーションをあらかじめ想像するのは出発前の大きな楽しみの一つだ。インドならインドの、八ヶ岳テント泊にはそれの、1泊の伊豆お忍び旅行にはそれ相応のセレクトがある。もっとも恥ずかしくて具体的なタイトルなんかいえないし、残念ながら伊豆のお忍び旅行の経験なぞない。
今回は移動もせずにダラムサラに一年ということで、まとめて段ボール一つ日本から送っていた。読みかけやら読もうと思って積んでいたのを無造作に突っ込んで。結局日々酔っぱらっていたせいで、読まずにそのまま送り返すのもたくさんあるんだけど、読んでみて、ダラムサラにいるからこその染み込み方があった本もいくつかある。その時の自分の状況に応じた見え方があるのも読書の一つの効用である。

「カラマーゾフの兄弟」がそんな本の一つだ。そこで繰り返されるいくつかのテーマ。そこに出てくる登場人物たち。19世紀半ばのロシアの物語を読みながら、僕はいつも、今周りにいるチベット人たちのことを考えていた。
例えばゾシマ長老の死の間際の民衆の神秘への期待。そしてその後のあからさまな失望。それを斜めにながめている無神論者。そんなシーン。

カトマンズに来てから、空気の悪さか環境の変化か、連れの彼女の具合がいまいちすぐれない。咳も出るし、なにより猛烈に頭が痛いと訴える。日本から持ってきたバファリンを渡すがよくならない。
そのとき彼女が突然思い出す。「あれがあったじゃん!」2種類の小さな丸薬のようなものを取り出す。一つは「マニリブ」といってダライラマ法王のパワーが込められていると言われている。もう一つはダラムサラのネチュン寺でもらった色は違うけどマニリブと同じようなもの。ネチュン寺はダライラマ法王にお告げを与えるシャーマン的役割を担う神様のお寺である。彼女はこの二つの丸薬を数粒づつ取り出し、ティッシュに無造作にくるんで火をつける。部屋に立ちこめる煙。その煙を大事そうに顔にあてる彼女。そして彼女は言うのである。「あっ治った!もう痛くない!」えっもう?バファリンなんて糞食らえってなもんだ。
彼女はこんな話も聞かせてくれた。彼女が子供の頃、カルマパ(チベットの最高位のお坊さんの1人)がラサ、ポタラ宮を訪れた。当然一目見ようとみんなお寺に集まる。近所に住んでいた彼女も周りの大人とともにお寺へ。ただそのとき彼女は猛烈な歯痛に見舞われていた。それでもどうしても一目みたい。やがてみんなの前にカルマパが現れる。そして彼女の前で足を止める。「どこか痛いの?」まだ少年だったカルマパは彼女の顔を覗き込む。歯痛の話を聞くとそっと彼女の頬にてをあてて、もうだいじょうぶだよと言った。「それからね、ホントにすぐ痛みが引いたんだ。あれから一回も歯が痛くなったことはない。小ちゃいのはあったかもしれないけどね」
また、彼女はお寺でお祈りするとき、たまにダライラマ法王に文句を言うらしい。「どうしてこんなにたくさんのチベットの人たちが苦しんでいると言うのに、どうしてあなたはパワーを使って助けてくれないの。その赤い僧衣の下に隠してることはみんな知ってるんだからね。いつも私は普通の人間ですなんて嘘言ってるけどみんな知ってるんだよ。」

そんな話を聞いて、僕の立ち位置はとても微妙なものになる。やっぱりまったく信じきることもできないし、カラマーゾフの次兄イワンのようなリアリスト、無神論者にもなりきれない。ただ、身近な人が目の前でそう言うたぐいの話をしているのを聞き、そのときの彼女の高揚した顔つきや息づかいを僕は知っている。それは僕の生身の体験だ。同じようにそうやって彼女の生身の体験を手渡されている、そんな気分になるのである。


今日も僕たちはスワヤンブナート寺院の周りを散歩する。ここはモンキーテンプルと言われるくらい猿がたくさんいる。
僕らの目の前に中国人の若い4人組のツーリストを発見する。彼女は僕の手を引っ張り中国人を追い越しにかかる。そして大きな声で、はっきりとしたわかりやすい英語で、僕に話しかける。
「猿がいっぱいいるねー。ねえ知ってる?中国人って猿の脳みそも食べるんだって。猿まで食べて、そのうえよその人の土地まで食べて、どんだけ大きなおなかしてるんだろうねー。」
ビックリした顔をしている中国人がちらっと見えた。
あーやっぱりカラマーゾフだ。

聖も俗も人一倍過剰なカラマーゾフ家。僕はチベット人に、いやもしかしたら彼女にカラマーゾフ的激流を感じずにはいられないのだ。