2014/01/19

カトマンズのチベット人

カトマンズ、スワヤナンブー寺院の裏手の安宿にいる。

はじめの数日はツーリストエリアであるタメルにいたけど、お寺に近い方がいいという彼女の希望で、いやというよりタメルより断然安いということでこっちに移ってきた。
宿はチベット人の経営で、スタッフもお客もチベット人ばかり。そして1階のレストランでは中華料理が食べれる。なかなかおいしい。タメルにいた時、とにかくたくさんいる中国人ツーリストにいちいち舌打ちし、僕らに「ニーハオ!」と話しかけてくるネパール人の物売りに「一発お見舞いしてやろか。あたしはチベット人だっていうの!」と息巻いていた彼女であるが、大好きな麻辣豆腐の前では形無しである。日本で言えばヒラタケのような平べったくて白くて大きなキノコの炒め物をメニューに見つけたときは「あたしは10年もこれが食べたくて食べたくてどうしようもなかったんだ」と泣き出さんばかり。舌の記憶、中華料理恐るべし。

やっぱりチベット人はチベット人。
彼女はまわりから聞こえるチベット語に大満足である。英語だってネパール語だって達者なのにどうして?とちょっと思う。オレなんか英語だって満足にできないけど別に日本人いなくたって平気だけどなと思うけど、ただの旅行で来てる身とはやはり違うんだろう。ここでも、ボダナート(ここも大きな仏教寺院がありチベット人がたくさんいるエリア)に行っても、赤い服を着たお坊さんを見つけるとなんとなく話しかけてみたりしている。それでネパール語で返事がかえってきたりするとあきらかにウエーっという顔をするのだが。そりゃもちろんネパール人のお坊さんだっているだろうよ。

彼女にとって約10年ぶりにネレンカン(チベット難民収容所)を訪ねてみる。思ったとおり中には入れてもらえなかったが、当時からいるという先生というか職員のチベット人のおじさんと入り口で偶然会い話し込んでいた。
「あのオッサンとはケンカばっかしてたんだよ。ほんとにスケベなオッサンで、亡命したばかりの女のコを自分の部屋につれこんではあんなことやこんなことや…」
彼女は当時の、約半年のネレンカンでの思い出を話し始める。道中でボロボロに穴のあいた靴。新しい靴を買う金なんてもちろんなかった。ギュウギュウ詰めで雑魚寝のホール。悪臭。そこで繰り返される亡命者同士の喧嘩。ナイフだって出てくる。すぐ横で聞こえる男女の喘ぎ声。とにかく粗末な食事。そしてその祖末な食事にありつくための長ーい行列。
「あー失敗した、来るんじゃなかったって思った。」
懐かしさもあるけどそれだけじゃない、いろいろ混じったような顔で、彼女はチャン(チベット式どぶろく)をいっきに飲み干した。

宿の近くのスーパーでシャ・カンポ(干し肉)を見つける。チベット人はとにかくこれが大好きだ。ネパール式にスパイスも使っての赤い干し肉ではなく、いかにもシンプルなヤツ。宿に戻りさっそく一口齧りついて彼女が大きな声をあげる。
「これがホントのシャ・カンポだ!これ絶対ヤク肉だし、これ絶対チベットで作ったヤツだよ!」
デリーのチベット人地区でもシャ・カンポは売られているけど、たしかにそれとは違う。固さ、歯ごたえ、肉の裂け方、内側に残った肉の赤色は、とても寒くてとても乾燥した土地で短時間に干しあげて熟成させた感がある。そして脂身の食感の違い。デリーで売られているのは水牛の干し肉だろうか。僕もいつのまにかシャ・カンポの違いのわかる男になったようだ。
「ネパールのポリスはチベットから来たチベット人のシャ・カンポを取り上げて、包み直して売りさばいてるんだ!」
たしかに簡易的なビニール包みの開け口を、再び折り畳んでライターで炙って閉じ直し「ほらおんなじじゃん。こうやってんだよ!」
数年前インドブッダガヤで、ダライラマ法王による灌頂カーラチャクラが行われたとき、たくさんのチベット人がブッダガヤにやってきたが、途中でみなシャ・カンポは取り上げられたと彼女は言う。「そんとき親戚もあたしへのおみやげにって持ってきたシャ・カンポ取られちゃったんだ。これはあのときのあたしのシャ・カンポに違いない!」
ネパールでだってシェルパ族とか高地の人たちはヤク飼って干し肉作ってんじゃないのなんてことを言っても、鼻息荒くシャ・カンポにかぶりつく彼女は聞く耳を持ってくれないだろう。


どこにいてもチベット人はチベット人である。